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雨の日曜日

長男の少年野球公式戦が増え始めた。昨日も大会の開会式から試合会場へと車の送迎だ。試合は敗れたものの、長男自身はヒットも盗塁も決め、ピッチングでも三者連続三振も含め2失点と3年生として十分な活躍であった。今日も立て続けに公式戦が予定されていたのだが雨のため、早朝早々と中止が決まった。そこで久しぶりにテレビで将棋のNHK杯を観ながら、夢とうつつの間をぼんやりと過ごした。

私の仕事はテニスコーチである。テニスやテニススクールのことについては好奇心の塊のような人間であり仕事は楽しい。しかしテニスコーチという本来持つべき目的のみに邁進できるのであれば幸せであるが、現実はそう甘くはない。とくに今年の夏はそういったストレスが重なり、周りには隠し続けているがいろんな問題が現れた。そんな私のささやかなストレス解消方法が将棋観戦なのである。なぜ将棋観戦がストレス解消になるのかも自分なりに解明できているつもりだ。私にとって将棋観戦は現実からの逃避行であり、それが童貞的妄想でもあり、現実には無理だということも知っている。

最近のテレビワイドショーでは、豊洲移転問題のニュースばかりやっている。コメンテーターや評論家の皆様は、もっともらしいことを、もっともらしい言い方で、もっともらしい風貌で、もっともらしい肩書きをテロップに出し、しゃべってられる。ただしみな目的が違うということに気づかれているのだろうか。中国という国の最高指導者は、中国という国のことは三番目に考えておられる。一番大切なことは中国という国の繁栄や存続ではなく中国共産党の繁栄と存続なのである。二番目が習近平自身であり、その後の三番目にやっと自国が来る。中国の最高指導者は中国共産党の最高指導者である。日本という国もそこまで愚かではないにしても似たような愚かさは持ち合わせてられるようだ。当たり前のことだが日本総理大臣は自由民主党の党首である。東京都の知事は自由民主党東京都連のトップである必要はないが、都議会最大議席を持っている自由民主党議員の皆様を無視することはできない。

将棋の駒にも価値の高低はある。歩より香 香より桂 桂より銀 銀より金 金より角 角より飛といったように。ただ、これらは一般的な価値基準でしかなく、状況によっては持ち駒が角より香の方がいい場面があったりする面白いゲームなのだ。ただ、その奥深さとは反対に目的はいたってシンプルである。それは自分の王将が詰まされる前に、相手の王将を詰ませたら勝ちなのだ。今日の対局も新進気鋭の豊島七段の鋭い端攻めに対して、ベテランの久保九段がそれを見事に防いだ素晴らしい戦いであった。勝因は久保九段の銀のただ捨てであった。自分の銀が逃げれる状況にあったにも関わらず、わざと歩に取られる場所に移動して取られてしまった。しかし、この銀を取った歩が、豊島七段にとって後に睨みを利かせる予定の角道を防ぎ端攻めの手順を大きく狂わせた。

それぞれに権力者の皆様やネクタイを締めたお偉い方々というのは自分の王将よりも大切に守らなければいけない駒があり、そのうえ相手の王将よりも他に欲しい駒があるようで大変なようだ。ただ、表向きは相手の王将を詰ますと言っておかないといけないようで、何とも廻りくどいお言葉を往々にしてお使いになられるのはそういった実は深そうで、実はあさはかな理由があるようだ。雨の日曜日