昔書いた記事

昔書いた記事

 

普段はテニスのことをよく考えています。テニスを指導するのが仕事ですからテニスに関することから、スクールのマネジメントのことまでです。家に帰れば嫁や子供たちと話をします。ニュースを見ればその事柄について考えたりします。音楽が好きだから鑑賞したり、趣味のことについて考えたりしています。
ただ、こんなどうでもいいようなことを考えていられることが幸せなんだと感じることがあります。
この国にいると、明日の食べ物の心配をしなくてもいいですし、どこからか空爆される心配もありません。これがあたりまえであることに感謝して、一年に一度くらいは世界平和について考える日を持ってもいいのではないでしょうか。
今日は何の日
「今日は何の日」と言われるとジョン・レノンの命日です。

彼については説明の必要がないほど有名人です。1980年の12月8日に自宅で殺されました。彼はビートルズの脱退後は肩書をアーティストではなく、平和活動家だと言っていました。戦争をすれば経済が潤うので、アメリカ共和党の大統領は何か大義名分を見つけては戦争をしていました。戦争をせずに平和的解決を目指した民主党の大統領は不可解な暗殺をされた人が少なくありません。そうやってアメリカは戦争で経済を発展させてきたのです。そんな中でジョン・レノンの活動は非常にやっかいなものでした。国の政策を否定し、人種差別はなくなっていないと発言し、キリストを含めた宗教をも否定するような発言をしています。これが単なる変人の発言であればどうでもいいのでしょうが、ジョン・レノンという世界的な評価と尊敬を集めるアーティストだったために厄介なものでした。そのため幾度も国外退去命令が出されたり、ローマ法王からも批判されるような存在でした。
命を狙われるような活動をしており、現実に危険な脅迫を度々受けていましたがジョンはそれに屈しませんでした。
人間は愚かな生き物です。人間社会で正論を述べ続けると消されるのです。
誰もが世界平和という理念があっても、目の前の利益を選択するのが人間なのです。そして、そんなジョンの活動は生前は狂っている子供のような考えだとされていましたが、本当の偉大さは亡くなってから気づくのです。

誤りの日
先に紹介した12月8日がジョン・レノンの命日なのは有名です。テレビやFMラジオではジョンの曲がよく流されています。ただ、日本人であれば忘れてはいけない誤りを犯した日であることはあまり知られていません。
今日は真珠湾攻撃の日でもあるのです。
厳密にはアメリカ時間の12月7日ですが、日本時間では12月8日です。あまり知られていませんが、今年はいつもより多く報道されるはずです。理由は真珠湾攻撃から70年目だからです。
この真珠湾攻撃の最高司令官はこの人です。

山本五十六という連合艦隊司令長官で太平洋戦争後期まで総指揮をとっていた人です。
太平洋戦争というアメリカと戦争を始めた人というのは存在しません。誰が始めたのかがよくわからない戦争なのです。敗戦したときはそれなりの役職の人間が処罰されましたが、実質誰が始めたのかが定かではないのです。
日本にとってこれほどの歴史的に大きな戦争も、人間のことなかれ主義、目の前の利益を優先させる習性が、徐々に戦争へと進んでいったのです。
現場の最高責任者であった山本は、ときの総理大臣や国の決定権をもった重要な人物からアメリカと戦争したらどうなるのかという質問に答えているのです。その内容は要約すると「最初の半年くらいは奇襲攻撃で苦しませることはできるが、そこまでだろう」というようなものです。アメリカには勝てないことを誰もが知っていながら、戦争をしないと利権が絡む国の政治的内紛が収まらないので、はじまっちゃったのです。
この戦争は「はじめた」のではなく「はじまっちゃった」のです。
この戦争でどれだけ多くの犠牲者がでたのかは、歴史的に誰もが知っていることです。しかし、その原因は考えられないほど軽い選択だったのです。省庁間の見栄の張り合い(外務省と陸軍)や自分の部下の役職ポストの確約、自分の出世、次はもっと良くなるという幻想からの嘘などです。
長らく世の中が平和で、何でも成長している時代にいると、それが当たり前で現状を見直そうとしなくなります。成長が未来永劫続くわけがありません。しかし、永遠に続くという幻想を持ち嘘をつき始めます。現状を見直さない風土が広がるとこの嘘が見抜けなくなります。つまり「何を言ったか」ではなく「誰がいったか」や「どの組織が言ったか」にしか耳を傾けなくなるのです。そしてそれが嘘だと気付き始めても誰も何も言えない状況に進んでいくのです。

普通のこと
私は今日を自分の中で「世界平和を考える日」としています。私一人が世界平和について考えたところで何も変わりません。だからといって考えないという選択をしたくありません。私は12月8日からクリスマスまでは平和期間にしています。嫌いな人たちとも話をする機会を持ったり、今まで怒っていたことも一時的に許してあげたりという期間にしています。また、年末でやらなければいけないことが仕事でもたくさんあるのですが、できるだけ早く切り上げて、元気のない先輩から同僚、後輩に会いにいって話をしたりします。普段はズバズバと気付いた点を指摘しますが、たまには似合わない満面の笑みで話かけるように心がけています。そうすることによって、他人の良さに気付けるのではなく、自分の「ことなかれ」「利益を優先させる行動」に気付くことができるのです。
会社組織なんかにいると、ほとんどの会話にある内容の根っこは建前と見栄と嘘ばかりです。そして、それを聞く方も建前と見栄と嘘であることを知っていながら、建前と見栄と嘘でわかったようなふりをしたり、わからないようなふりをするのです。それはある意味では「大人の会話」であり、これが話しできないと社会人ではないようです。しかし、そんな「大人の会話」が大きな誤りに気付けなくなる要素を含んでいるのです。
「世界平和を考える」ということは、大人の考えではなく、固定観念や常識にとらわれずに考えるということなのです。そしてその固定観念や常識にとらわれない考えをしてみると、実は普通だと思っていたことが普通ではないことに気付けるのです。
身近にいる人も敬愛する人も
老いた人も若い人も
弱い人も強い人も
金持ちも貧しき人も
黒い人も白い人も
黄色い人も赤い人も
やめようよ あらゆる争いを 
こんな普通のことが人間はできません。
そして、こんな普通のこと言っている人間を変人で異常者にしてしまうのが社会です。
そんな社会を形成しているのは、自分を含めた全ての人間ですから。